権太楼の大落語論
この本を読んでいるといろいろなことが見えてくる。
それは、立川談志に対してもうひとつ納得できない部分であるとか、小三治がやはり現代の名人ではないかという疑問だとかなのだが、権太楼師匠にはずいぶん教えられた。
しかし、枝雀に関しては、権太楼師匠の立場はとらず、わたしは、あえて彼のあのひ弱さを愛していこうと思っている。
ご存知のようにわたしは生き続けていくことに大きな価値を見出してはいない。
だからといって、早く死んだほうがいいというような死に対する憧れを持っているわけではない。
ただただ揺れ動いてるに過ぎず、自分でも処しきれぬ自己否定へなびいていく自分が存在することを知っているに過ぎない。
過剰なものを持った人間の宿命だろうし、過剰なものを持ったところで権太楼師匠のような人がいるところに救いを感じることもある。
しかし、これはまるっきりな嗜好なのだが、枝雀のぽきりと折れてしまうようなあの危うさを見捨ててしまうことはできない。
聞き書きのようなこの一冊、落語ファンならば、大きな参考になると思う。
その内容に反対であっても賛成であってもそのしゃべりのなかの真摯さは得がたいものだ。
改めて書くことではないが、柳家権太楼、当代きっての噺家である。
ラベル: 演芸
<< ホーム