2008年8月25日月曜日

本を読む

どれくらい本を読むのですか? とか、
土日で10冊読んだ、とかいう話があるが、それはそれだけの話だ。

昔、就職試験を受けに入った会社の社長が面接のときに自分の机の上に積み重ねられた3,40冊の本を指さし、これを次の仕事のために明日までに読まなければならいのだよ、と自慢げに言っていた。
面接されていたわたしは、読まなければならないのだったら読めばいいのではないかと内心でせせら笑っていた。
もうそのころには立派に人を軽蔑もする術を持つつまらぬ下衆にわたしは成り下がっていた。

3,40冊の本を一日に読むためにはそれなりの読み方があり、精読するわけではない。
人は自分の本の読み方に当てはめて、その本の量に圧倒されるが、量を読む人間のほとんどは、なに、ええ加減に読み飛ばしているだけだ。(そうではない人もいるが、気にするな。あれは天才だ。わたしの知る限り数人しかいない)

だから、あの本を、たとえば「千のプラトー」を読んだからといって、(わたしはそれほどあの本に感心していない。そういう読み方しかわたしにはできなかったということだ)驚くことはない。
要は、どう読んだかだけだ。
精読するにたる本もあれば、読み飛ばすに限る本もある。

何冊読んだかは、何の役にも立たない情報だ。

問題はどう読んだかだ。

何を知っているのかが問題ではない。
何をどのように知ってしまったかが問題なのだ。

ロマンティックすぎるかな。

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