2008年8月22日金曜日

ソフトボール


オリンピックのソフトボール決勝を見た。
いいものだった。
これから以降は、またややこしく書くが、金メダルをすごいではなく、上野の三連投がすごいではなく、もちろんそれらも十分すごかったのだが、解説の宇津木妙子がよかった。

長く何事かを願い、それを手に入れた人間を余すところなく映像的に表していた。
「何事を長く願う」ということが美しい。
その「何事」は、何であってもいいのだ。
ある人が長く何事かを思い、たとえ、それが復讐でも、小さな山小屋作りでも、ひとつの絵を手に入れることでもほんとうに何でもいいのだが、「何事かを長く願う」ことの試練は想像を絶する。

そして宇津木のその長さとその練習とそのあいだの負け続けた試合での苦難は計り知れない。
テレビの画面から声の出ない宇津木妙子を目の当たりにして、人が生きている姿を久しぶりに見ることになった。

見られて感謝の映像であった。特に彼女の思いは長すぎた思いだったし。

そのころには、惨めなわたしは、白湯を食べられるようになっていたが、「何事かを長く願うこと」など思いもよらなかった。

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