2008年8月30日土曜日

食わなければ生きてはいけない

とにかく体に栄養を入れ込むことだ。
そのことが、少しずつの匍匐前進につながる。
まだ、前に向かって生きる気があるならば。

このことは、本当に事実だ、酒を飲んだくれた後、水分しか体が受け付けなくなれば、何の力もなくなり、死だけを願う。
それもみじめったらしいことに、誰かの与えてくれるだ。

だから生きていくためには、何かを食らわなければならない。(食らえるようになるまで身体が戻るのを待たなければならない)
食らうことによって、わずかに残されたわれわれの生きる意志の背中を押してくれる。

いつも書いている。
生きることに何の意味もない。
何の意味もないということは、その意味を何に託してもいいということだ。

しかし、酒とドラッグ、それになにやらわからぬ体に栄養を入れることを妨げるものは拒否しなければならない。
食らわなければ生きていけないからだ。

これが、長くかけてわたしのわかったことだ。

だから、せいぜい食らってほしい。
食らえばあなたの意思も少しは元気になる。
そうすれば、いろいろなものに目がいくだろう。

それは旬になった巨峰であるかもしれないし、必要もないのに雨に降られ続けるアジサイかもしれない。
一個の女かもしれないし、それはろばたの石かもしれない。

その石に生きる価値を見出せるだけの強さを持ったときにあなたは必ずや生きていける。
あなたが何かを見出すときには、すでに「生きることに何の価値もない」などというわたしのたわごとを捨ててしまえばいいのだ。

ほんの小さなもの、ああ、こんな小さなものに輝きを見つけたのか、そのようにわたしを驚かせてくれるあなたであってほしい。

100mを10秒を切って走ることに生きがいを見つける人もいれば、どこかわからぬ湖畔を取るに足らない(そう誰もが言うかもしれない)女の子と手をつないで歩くことに、人は自分の生を賭けて生きていけるのだ。

「生きることになんらの意味はない」とはその自由さへの憧れのコトバだ。

あなたの幸せな人生を願う。

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