2008年11月22日土曜日

どんな人間も、孤島ではない

実体経済のことを書いてきたが、それまで振り回され続けてきたのは、そしてわれわれが今も振り回され続けているのは仮想経済である。
そしてこの現実にはありもしない経済はわれわれの思っているよりはるかに難物で、起こりうるかもしれない夢を見させてくれるし、目覚めて現実に戻ることにより、現実という場所で結果としての負債を受け取ることにもなる。

ところで、これは経済の話だが、話をさらに広げれば「仮想」というものは経済に限らずわれわれにさまざまな影響を与えている。
その一端は、本屋に並ぶ無数の小説たちを眺めてみればわかるだろう。
小説の世界はすべて仮想の世界である。
ただし、現実とまったくはなれたところにあるかというとそうでもないところが、さらにことを複雑にしている。

「雑魚は群れる」と書き、しかしながら群れることはそうそう悪いことばかりではないと主張したのは、群れることによって「仮想世界」に生きることが容易になるからだ。
ひっくり返して書けば、それほど現実世界は直接に向き合うに傷つけられやすい世界だともいえよう。

しかしながら、帰るべき場所は現実であっていつまでも「仮想世界」にいられるわけではない。
ところが、もう一度書くが「仮想世界」は、現実世界とまったく別のところにあるかというとそうではなく、その関係性は対峙しているわけではなく、ある場合には現実世界に対する観照のよすがともなる。

そういう仮想世界を自分の中に持つことは生きていく上でときに必要になってくる。

「雑魚は群れる」でいいではないか。
そうすることで自分が少しでも生きやすくなるならば群れてしまったほうがいい。

ただ、雑魚にもいろいろいることは知っておく必要はあるだろう。

いらぬことを書いておけば、「オレオレ詐欺」もまた「仮想世界」を老人の前に現出させて、老人の現実の金を自分の懐に入れるテクニックからなっている。

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