2008年11月21日金曜日

星野学校

通常「星野学校」と呼ばれるナイロビの私塾にわたしは通っていたことがある。
最近の海底での生活の中でふととった本に「いくたびか、アジアの街を通りすぎ」(前川健一)という講談社文庫がある。

この中で星野学校の生徒が批判されていた。
といってもナイロビとモンバサで彼の会った2,3人の生徒だったが。
しかし、批判は批判。
それぞれ痛いところがついてある。

ひとは自分の直接見たもの聞いたものに対し、物申すことが出来る。
そういうことを前川氏はしたわけだ。

もちろんだからと言って星野学校全体の批判にはならないし、学生全体への批判にもならない。

しかしながら、直接体験からにじみ出るような批判は耳に痛いもので、読みながら苦笑した。
長くその地に住む人の文章が、薄っぺらになりがちなのは、長く住むうちに直接見たり聞いたりする力が薄らいでしまっているからだ。

何かを見、聞き、感じるには、努力が要る。(つまり個人差が生じるのだ)

前川氏の旅行記は立派な旅行記だった。
少し耳の痛いものではあったのだが。

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