2009年3月3日火曜日

ゲバラの最後

ゲバラの最後は小学校で射殺されたのだが、その射殺の前に一人の若き女性と話している。
そのエピソードはとてもすばらしいものだが、それが映画ではまったく取り入れられていなかった。
映画では小学校ではなくある村でゲバラは射殺された。

おそらく小学校に連れて行くようなシーンを重ねると映画自体が壊れると思ったのであろう。
致し方ないが、史実にある程度縛られた映画というのはそのようなものなのだろう。

橋本忍がいかに原作に忠実ではなかったかはよく知られるところだが、(たとえば[砂の器」ひとつとっても松本清張を読み映画を見ればたちどころにわかる。さらに付加すれば映画のほうが数段魅力的だ。もちろん清張の発想なくしては出来上がらなかった作品ではあるが)あのゲバラの映画もそういう裏切りを各所に偏在させてもよかったかもしれない。

いまやグローバルな資本主義となったこの世界は、さらに見えない圧政を続けているが、ゲリラ活動は難しい。
それでもゲリラが各所に存在することはあなたも知っておられるだろう。

つまりはこうだ、ゲバラが言ったように。

祖国か死か!!

ともに生きていこうではないか。

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