2009年2月28日土曜日

ドキュメンタリー「柳家小三治」


昨日は珍しくお出かけをして念願の「ドキュメンタリー 小三治」を東中野で見る。
小三治の懸命に生きる姿は胸に響きました。

何につけても懸命になるからこそ自分が変わっていく。
懸命になることはしんどいことだけれど、ときに光明がさすことがある。

自分は落語家に向いていないだとか、自分が楽しむためにやっているとか彼が言うのはそういう長き格闘の後に出てきた言葉で、その言葉の表層の意味だけをとらえていたのでは小三治が何を言っているのかはわからない。

わたしも少しはそういう奥深さが見えるようになってきた。
長く落語に接してきたご褒美だろう。

人によって取り方は違うだろうが、見ることが出来ていいものでした。

しかし、逆に落語に接してきた哀しみもある。
最後の[鰍沢」は、あまりにも六代目円生のものを聞きすぎていて、アラも目立った。
初演だから仕方あるまい。

背を正して言えば、あの映像はいまだに挑戦し続けている小三治の姿を見るべきだろう。

まあ、なんにしても小三治はいいなあ。

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