2009年2月26日木曜日

ものを考えるとき

ものを考えるときのひとつの大きな動機のひとつに[他をわかろうとする心」がある。

すべての人がこの視点を備えているかどうかは別にして、このことはとても大事なことだとわたしは思っている。

[人がどういうふうに考えるのか、感じるのか、知りたい」

この思いが他に寄り添う気持ちを育て、すべての人に対しては無理であるにしても特殊な誰かに対しては全的に抱え込むことが可能になるのではないかと思う。

それが生きている醍醐味だろうというのがわたしの基本的な思いだ。

わたしの愛する噺家、柳家小三治は人間の生活が愉快なのだ、笑いはそれに少し加えられたものに過ぎない、というような意味のことを言っている。

まことにもって、そうありたいものでその場所からどんどん遠ざかる世間を見るにつけ忍びない。

いやいや、今もまだそういう愉快な生活は残っているのかもしれない。
事実、時としてわたしもそういう空間を提供しているのかもしれないが、趨勢は違う方向に進んでいる。

いつから始まったのかは別としてこの趨勢を慣性の法則とでも呼んでしまおうか。

しかし、一方ではどんなにメジャーになろうとも「あさみちゆき」は井の頭公園で歌う事実もある。

まあ、いろいろと厄介なことはあるが、とにかく、小三治のドキュメンタリーだけは見に行きたいものだ。

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