2009年3月9日月曜日

二代目林家三平襲名披露

寄席というところは演者(東京の場合は圧倒的に噺家が多いのだが)が高座で演じるのを客が見て反応し、その客の反応を見ながら演者が演じ続けていくというリズムがあり、そこにある種の空気が生まれる。
この空気をもって寄席の醍醐味といってよかろうというのがわたしの思いである。

というわけで、寄席に行かなければこの空気はつかむことが出来ず(各種のホール落語でもいいのだが、ちと器が大きすぎるかな?)、テレビにはこの空気を伝える力はない。

したがって寄席の芸は空気をとても大事にするものだからテレビでは通用しないということになる。
そういうところからテレビ芸なる素人芸が生まれてきた。
(テレビからも空気が伝わることはごくたまにあるが、それは長時間の番組を通してのことであり、コマ切れではやはり無理だろう)

この間、東中野で観た「小三治」のなかには柳家三三の真打襲名披露が映されていたが、この襲名披露は柳家小三治を映し返すようなもので、とても心地よかった。(映画にはどうやら空気を伝える力があるらしい。それを画面の大きさのせいだと長く思っていたが、あの大きな画面の前に長く座らせておけるという要素を見逃してはならないと最近思ってきた)

それと比べると二代目三平披露のほうは、まことにテレビチックで空気の大事さを考えさせないものであった。
もともと初代三平の芸も異質な芸でいわゆる寄席芸の持つ空気ではないものをまとっていた。
それがテレビの画面を突き破ってわれわれに届いたものだった。
いっ平にそこまでになれとは誰も言わないだろうが、寄席とテレビの芸の差は知らねばならないだろう。
もっとも、そこまで深く考えていなくても別にかまいはしないのだが。

そういえば、確か映画のなかで小三治がいっていた「三三がいい名前だとおっしゃるならば、それはこの人がそのように育ててきたからだろうと思います。これからこの人が三三をどういう名にしていくか、わたしも楽しみです」

以下のニュースの口上のなかには、このようなコトバは出てこなかった。

しかたあるまい。
小三治ではないのだから。


故林家三平さんの次男、林家いっ平さん(38)の二代目三平襲名を前に「日本全国感謝の会」が8日、東京・両国国技館で開かれた。6万5千件の応募から抽選で6千人が招待された。

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