2009年4月23日木曜日

さらに責任について

この間まで、世間をにぎわした小沢一郎の問題も問題の質がごちゃごちゃになっている。

道義的責任・政治家的責任・法的責任…

とあげてみようか。

そうしたときに小沢が問題にされたのは法的な責任だ。
だから検察の登場と相成った。

あとはぐちゃぐちゃ。

政治家としの責任だとか、道義的責任だとか。

そんなもんを問題にしてどうする。(したいならばしてもいいが…)

あの場合解決しなければならないのは法的な責任であり、それは同じように自民党のある政治家も持つ問題だった。
にもかかわらず小沢を狙い撃ちしたのは、法的責任をマスコミの誘導で政治家的責任、道義的責任にすり替えていこうとした稚拙な国策捜査であった。

昔の国策捜査はもう少しましではなかったか。

ま、というわけで小沢氏は、更に追い込まれ代表を辞めることとなるだろう。
その際に、何か奇策をうつのかどうか。

今のところ衆議院選挙の公示直後に岡田氏と代表を代わるなどという意見が主流だ。

しかしだ、くりかえすが、小沢一郎の問題は法的問題に始まったもので、これは法的に解決すべきものだ。
そうでなければいくらでも人は叩ける。

わたしがどこかの路地でおしっこをしていたとして軽犯罪法で捕まり、挙句の果ては人間として許されない男とされたようなものだ。

もっともわたしの場合、人間として許されない男というところは事実に違いないのだが。

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