2009年4月8日水曜日

好悪も気分も

昨日は「好悪の感情の押しつけ」についてをやや声高に書いてしまいお恥ずかしい限りです。
お許しください。

さて、この際だから更につけ足しておきますが、わたしが責めたのは「押しつけ」であって「好悪の感情」ではありません。
「好悪の感情」はあなた自身から発するものです、他の誰からの発信でもありません。
その感情、その感情を抱いたときの雰囲気は、とても大事にしてほしく思っております。

わたしの問題としているのは、「好悪の感情」はあなたにとってとても大事なものだけれど、

「第三者に何らかの強制ができるほどの根拠にはならない」

と意識しておきたい、ただそれだけのことです。
自戒を込めて書けば、ついつい忘れがちになることだから。

ついでに言えば、気分というものも大切なものです。
これに関しては鶴見俊輔氏の「アンソロジカル・カルチュア」という貴重な講演録があって、そこでは「銭湯デモクラシー」という方向が示されている。

銭湯の中での会話として「ああ、寒いな」とか「そう思っているんだ」、「こういう気分だな」という会話から始まり、そこから何かを積み上げていくことが日本人のスタイルとして重要ではないかと提起されている。

ここでは、「押しつけ」ではなく、「積み上げ」となっていることに注意したい。

と、まあ、こんなことをつけ加えておきたい気分です、いまのわたしは。

しかし、それにしてもいま述べている内容もこの段階のわたしの里程石に過ぎないので、いつ、ほかの転がり出てくる石に里程標は取って代わられるかわからない。

それでもいま考えられる限りは考えておこう(感じられるものは感じておこう)というのが、わたしです。

「積み上げ」もなかなか困難な道だと言うことですナ。

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