図書館へ行く楽しみ
図書館へ行き、新しく入った本のコーナーや返却されたばかりの本のコーナーをのぞいていると、ほんのわずかな差で出合えなかった本を目にすることがあります。
その出合いはとても愉快だ。
ほんのわずかな差ではあるけれど、図書館に来なければ、どこかの書評とか誰かの口から出なければその本にはたどり着けなかったわけで、いやあホントに出合えてよかったとしみじみ思ったりもするときがあるのです。
写真の本の著者の橋本治という人にわたしは好感は持っていたのですが、この本を取り上げてみるまで実はこの人のことを何も知らなかったのだなあと思いました。
この本との出合いも図書館でした。
そしてこの本をもってはじめてわたしは橋本治という人を知ったのでした。
もし、このブログを読んでくださっている人の中で、何かを考えるという作業をすることが多い人には、この本を読んでもらいたいなと思います。
この本のなかでの橋本さんは、素人が何かを考えるということはどういうことかをよく教えてくれます。
素人?
そうです。
橋本さんも自分が考える素人だと自覚していますし、わたしもしています。
もしかしたらあなたもそうではありませんか、もし、素人としていろいろなことを考えてみたいならば、この本はとてもいろいろなことを教えてくれます。
素人の考えは、他者を説得するものではなく自分を納得させるものであり、せいぜい広げて自分のそばにいる人を説得させるものなのだから、誰かの意見と戦う必要はないのだろうというのはわたしの意見でもあったのですが、橋本さんも同じような語り口をします。
そして同時に自分の足で立ち評論家ではなく、自分に対して当事者として考えるという行為をしている人がここにいて、その語りが商売になっているという力強さを知りました。
人はわからないことはわからないと感じればいいし、どうでもいいと思えばどうでもいいと思っていいし、そんなことは関係ないと思うなら関係ないと思ってもいいわけで、そういうことをしっかりとこの本では確認できていて、そこが何ともショッキングでした。
こういう人が仲間なんだろうなと思いながら、仲間と呼べる連中とは連帯などというものは取れないのだなともせつなく思いました。
ラベル: 作品
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