2009年5月19日火曜日

考えることとわからないこと

考えることによって人はある考えから自由になる可能性が生まれる。
(深みにはいちゃうこともあるけどね)

でも考えることはけっこう大変なことで、その先にわかるということが必ず訪れるなんて思っているとさらに大変になる。
だから、lこう考えればいい。

わたしには考える自由がある。
でも考えた先には、やっぱりわからないことなんだな、という納得の仕方もある。
わからなくても大丈夫だと考えれば、少しは考えることに対する恐怖は取れる。

わからなくても大丈夫なんだ。
特に自分に関係あることは。
それに、自分とは関係ないこともね。

人は自分のわかるように物事をわかればいい。
もちろんその前提には、自分の考えたことを誰かと戦わせるなんて豪も考えたことはない、という態度があるんだけど。

世の中に正しい考えがひとつだけなら、戦わせる必要はあるのだけれど、どうもそうではないらしいというのは心ある多くの人にはわかってきたはずだ。

わかっていないひとは、以前はブッシュとネオコンがいた。
そしてご存知金正日がいた。
ほかにもいる。
どこにいるかはすぐにわかる。

そこに紛争が起こっているからだ。
正しいことがひとつしかないと思えば、紛争は起こりやすい。

それぞれにそれぞれの思いがあるとか、「どうでもいいジャン」と思っている限りは戦いは起きにくい。

それにふと思ってみれば、あなたが必要とするものしかあなたには必要ないのであって、それは自分で見極めるしかないし、そいつは他人とは関係ないことだ。(他人じゃなければ関係は生じるだろうけどさ…)

いってみれば、それが処世というものだ。

ラベル: