2009年5月27日水曜日

何かを知ること

何かを知ることは、そのまま解説者となり部外者になっていく道でもあるわけで、そのため当事者として知る道が残されているのだと思う。

当事者として知る道を歩む人は少ない。
辺見庸、鶴見俊輔、橋本治…、あと何人上がるのだろう。

何人かはわからないが、そう多くないことはわかる。
別に有名でなくていい。
あなたには、自分の足で歩く人と付き合っていてほしい。
何の得もないが、時々見えなかったものが見えてくる。

それは何かを知るということではない。

それは何かと出会い、自分が変質するということだ。

だから、自分の足で歩く人は、もちろんのこと自分の変質を厭わない人だ。

「自分の変質」を受け入れることはある人種にとってはしんどいことだ。
彼らは、意地でもいままでの自分を守ろうとする。
そうしないと、いままでの自分を否定されてしまうように思うからだ。
否定されてもいいじゃないか、新しい自分に出会えたのだから、とは思わない。

そういった人種とは付き合わないことだ。
いやな気分があとで残るだけで、見るびょうもない。

ここまで書いてきて思う。
ただ何かを知るということだけでもややこしいもんだ。

いい奴と付き合ってほしいな、あなたには。

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