2009年5月19日火曜日

自分の価値観

人というのは自分勝手に価値観を作って生きていて、その価値観が、会社の価値観や社会や国家のそれと一致しているとすこぶるやりやすくなっている。
やりやすくなっている分、説明する必要はほとんどなく、もはや自明の理のようになってしまってもいるが。
(ホントはそうではないのだけどね)

まあ、同じ価値観を持つ人数が多いほうが強いというわけだ。
小沢一郎がいくら正論をぶち上げても、からめ手からとらまえられてしまうといったところだ。
(この場合、いくらか悪いところのある人間が正論を吐くこともあるという当たり前の事実は確認しておいてね)
(あいつはあそこの家の壁におしっこをかけたからという理由で否定できない正論もあるということで、正論とおしっこは別に論じなきゃあね)

というわけで、わたしもわたしの価値観を胸のうちにもつが、この価値観はどこかで壊れても仕方ない、そのときはまた作り直すかという覚悟はある。

この覚悟のない奴と話すときは厄介で、自分の価値観を崩す気はないのだから、最後は好きでそうしているんだからいいだろうみたいな世界に入っていく。

言っておくが、あなたの好き嫌いは他人様にはまったくなんらの関係もないことで(恋人でもあるまいし)、そんなものを持ち出す人間には話をする能力が根本的に欠けているわけだから、それ以上話す必要はない。

自分の価値観に影響あるものは、抽象的になるが、未知なるものと異なるものである。
だから、その人を見るときこの未知なるもの、異なるものに出合ったときの対処の仕方で大体はその度量がわかる。

あくまでも自分を守ろうとする人間は、自分の価値観の中に何とかその異物を位置付けようとし、それに失敗したら無視するか排除する。(それが今回の小沢事件の本質だ、異物が小沢氏だよ)

で、そういう態度に出た人間にどう対抗するかは、とても難しいし、少し危ない話になっていく。

ここでは、生きている以上人はそれぞれ価値観を持つのだが、その価値観に自縄自縛になる人間もいれば、さらに羽ばたける人間もいるというわけだ。

出来るなら、羽ばたく人間とお話していたほうがいいよ。
ずっと素敵な気分になれるから。
(能天気な結論だこと)

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