桂南光を見る
南光の「壷算」を見る。
桂南光は知っての通り枝雀の一番弟子で、彼ら二人のエピソードは多いし、枝雀の影響の最も強い一人といっていいかもしれない。
二代目枝雀は1999年3月に自殺を図り、意識が回復する事なく4月19日に心不全のため死去する。
59歳没。
惜しい人だが、いたし方あるまい。
うつ病もまた彼の身の内のことで、この場合の自死は致し方ないというしかない。
しかし、鬱病は辛いな。
枝雀は超のつくほど真面目な人間で、その芸もまたその外面からはすぐさまわからぬが、超の着くほど真面目なものであった。
したがって、一見真似できそうなあの芸の継承者は、いまだ現れないし、今後も難しいだろう。
あの芸は稽古の賜物で、いい加減なところで出来上がったものではない。
その点が白鳥とは違う。
白鳥は感性だ。(今後に期待したい)
さて、南光はそのもっとも二番煎じになってしまいそうな場所にいながら、その場所をかいくぐり、いまや、彼の芸を打ちたてようとしている。
その芸が、枝雀のそれとどう違うかの話はよかろう。
問題は、南光が南光の芸に気づきはじめたというところにある。
南光が彼のあの芸の船に乗ってどこまで行きつけるかは知らないが、自分の乗る船ができた南光は幸せものだ。
枝雀はいくら立派な船をこさえても、「この船では、この船では…」と悩んでいたことだろう。
切ない自分を持ったものだ。
人が生きるのに意味はないが、ある遊び道具を持つことにより愉快に生きることは出来る。
そして、その遊び道具に翻弄されて死んでいくこともある。
南光はどうやら遊び道具とともにゆっくりと川面を滑り出したようである。
彼の人生が幸せであることを枝雀とともに願いたい。
ラベル: 演芸
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