2009年5月19日火曜日

生きるということ

生きるということにあまり意味はない

というのがわたしの持論で、事実そうなんだろうと思う。
だから自死していく人に対するコメントはない。
コメントはないが、自死させる状況にはコメントはある。

先日も書いたが、一日に100人も自殺している日本は、自殺させている日本の状況は、憂うべき存在で、そのことを大きく取り上げない報道をわたしはあまり信用していない。
(インフルエンザのほうがニュースバリューがあるんだろうけどさ)

生きるということにあまり意味がない以上、人は自死する自由を持つ。
自由を持つが、それはその人自身の持つ自由で追い込まれた先で死んでいくのはどうにも困ったもので、これを自死とは呼ばんだろう。

こいつは他殺だ。
よってたかってのリンチだ。
早くこの状況は移行していってほしい。

ところで意味のない生きるという行為をなすには秘訣があって、そのひとつが何も考えないということだ。
何も考えなければ外部からの指示によって、自分は生かされていく。(生きているとはとてもいいにくいが)

もうひとつは、何かに意味を見つけることだ。
それを暇つぶしといってもいいが、やってみれば暇つぶしはなかなかに楽しい。
その際に考えるという作業が付随してくる。

人は自分が生きていくために考える。
考えることにより生きることに意味が生じ、生きている実感が押し寄せる。
幸せな幻想の世界だ。

さらにもうひとつある。
肉感に溺れることだ。
しかし、ころれは長続きはしない。

女の肌であれ、酒であれ、ドラッグであれ、放浪であれ、…長続きしたためしはない。
けれどもこいつが最も魅惑的な生きる姿だと思える節もある。
困ったことにだ…

ラベル: