2009年6月15日月曜日

断言すること

立川談志を聞いていて思うのだが、彼には断言を聞かせる愉快さがある。

一般論を言えば、多くの人は断言することも断言されることも好きである。
わたしはといえば、談志はそういう人間だからと思っているから、そう腹は立たない。
けれども、たいして吟味もせずに断言することは好まない。
したがって多くの人のコトバはそのまま信じないことが多いし、自分のコトバを断言調に語ることは苦手だ。

それでも少しずつ確かなものが増えていけばいいと思っているし、おかしいと思えばその段階でもう一度自分の考えを吟味しなおしてみる。
あまりカッコはよくないがそれがわたしのスタイルだ。

それとは別にの話だが、人は断言されることを望んでいる。
人は命令されることを望んでいる。

そう思えてならないこともある。

細やかに自分の肉体を通しながら、あれこれを取捨選択して生きている人はまれだ。

もちろん生きている間、いつでもそうする必要はないのだろうが、ときには細やかに自分の肉体を通じて自分と語りあう必要はあると思っている。

念のために書き足しておきますが、これは別に説教をしている文章ではなくて、ふと考えてみれば、オレはこんな風な感じだなあという感慨です。
あなたに対する「強制」のニュアンスはいささかもありませんので、入らぬ気は使わないでください。

先に書いたようにわたしは断言を好む人間ではないですから、そのコトバには圧力というものがありません。
もし、あるとすれば浸透力ですが、そんな力もあるかどうか…

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