2009年6月14日日曜日

何かを書くということ

何かを書いてしまうと、書いたことが実際にあったこと、実際に思ったことと思われることがしばしば生じるが、そういった想像があたるほど書き手は単純ではなく、悪巧みに長けている。

長けてはいるが、実際にあったこと、思ったことを書いたと思われるのもしゃくで、書くのが億劫になってしまうこともある。
けれどもそれは見栄であって、文章は見栄で書くものではない。

おそらく文章に限らず、作品に見栄が入ってきたとき作品は穢れるのだろう。
もちろん評価されるのはうれしいだろうが、そのために媚びるとすれば、作品を仕上げる能力の中で肝心なところが欠けていると思っておいたほうがいい。

それでも誰かの目が気になることはあるだろう。
それとこれとは別だろう。

「あなたはもてるから」
「…けれど、肝心な人にもてなくてね」

昔読んだ黒岩重吾の作品中に出てくる。
作品と観る人の関係もそんなところで、大向こう受けを狙う人ばかりが作品を作っているわけではない。

観てが、自分自身ということもあるしね。

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