忘れるということ
忘れるということのありがたさ。
久しぶりにと池波正太郎「雲霧仁左衛門」を手に取ったところあまりに覚えていないことに驚いた。
さすがに読み進むにつれて次第に思い出しはしたのだけれど、わたしの長く住んだ三重の地名が、四日市、津、桑名、蟹江(ここは三重じゃないね)、多度…と出てくると、いい本に出合ったわいと思う。
忘れるということが与えてくれる恩恵というのはこんなところにもある。
もっと本格的な恩恵もあるのだろうけどね。
お互い、いやなことは忘れて、たとえば人であれば、その人のいいところをあえて眺めるようにしたい。
その人のいやな部分を意識して取り上げることで不愉快になったり、攻撃してもあまり得るものはないし、気分悪いものね。
もっとも相手が、あなたの主要な敵であれば話は別だけれど、そうでなければ、人はそのいい部分を主に見ていきたい。
わたしは池波正太郎と藤沢周平を並べれば、藤沢さんを好むが、手に取りやすさからいえば、断然池波さんだ。
池波さんのいやなところはあるが、楽しませてくれる池波さんを悪くは言いたくはない。
とにかく忘れることで「雲霧仁左衛門」を十分に楽しませていただきました。
ラベル: 作品
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