2009年7月2日木曜日

イチローくらいになると

イチロー選手くらいになると、ノーヒットであったことがニュースになる。

むかしの噺家に今年の十大ニュースに親孝行の息子が現れたなんて出たら、世も末ですな、などというマクラがあったが、イチローのこのノーヒットがニュースになるというのも考えれば、すごい。

それと、なぜにわたしがここまでイチローを思うかというと、おそらくイチローの日常がわたしの思う日常と違う位相にあるだろうからだ。

違う位相に行くことが出来るならば、人は違うように生きられる。
それが、ある種の人々の願いだ。

毎度、書くようにこんな考えにとらわれず、にこやかに生きていければ、こんなすばらしいことはないのだが。
そういう人々はどのくらいいるのだろうか。

ふと「トニオクレーゲル」を思いますね。

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