2009年6月25日木曜日

死ねば、悲しいか

だれかが、死ねば悲しいか?

ふと、そんな疑問にとらわれる。
その人が死んでしまうこと自体は悲しくはないだろう。
その人に会えなくなってしまった自分の境遇は悲しいだろうが。

それでも、もし、悲しいのなら、その人の遣り残したことが目に浮かぶからだ。
何かを産み出す人ならば、その死は悲しい。
けれども何も産み出すことのない人であれば、いつ死んでも幸せではないか。

そのように生きていてほしいと思う。

わたしにとって、わたしの母の死は悲しかった。
彼女は、いつもわたしに安らぎを産み出してくれた。
ここまで考えれば、死はその人に対するある種の個人的な人間にとっては悲しすぎる出来事かもしれない。

だからこそ、誰でも彼でも、悲しい悲しいとのたまわってくれるな。
わが母の死に対する悲しみはわたしのなかにだけある。

ああ、そうだ。

死とは個人的な出来事なのだ。

そして、悲しいと発言するのは公の場でしかないのだ。

ここで、こう書かせてほしい。

あなたが死んでしまったら、オレはとてつもなくさびしくて、かなしいよ。

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