2009年6月23日火曜日

馬祖道一の言葉

馬祖道一は中国の禅僧である。
入谷義高がその禅宗を受け継いでいる。

この馬祖道一は高齢になっても只管打坐を崩さなかった。
その座る目的は、固定しやすい世俗的な自分の中にたえず新しく「迷人」を見出すことだと述べている。

まことにもって、瞠目すべき御仁であった。
ここに「迷人」であることの難しさと、厳しさを改めて知らされる。

少し前にうつ状態になると、中へ中へと目がいくということを書いたが、いくら中をたどろうとも意外に中は空っぽなもので、あるいは真っ暗なもので、何かが見つかることはまれである。
そういう場合は、少しでも元気があれば外を見渡してみることが肝要である。

もちろん無理をしてはならない。
ゆっくりと自分の力の許す限りに、自分の目の玉で外を眺めることである。
そうすると、ああ、と思うことに出会うことがある。

「迷人」という言葉にわたしが出会ったのもそういう時でありました。

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