2009年6月17日水曜日

思いつき

わたしの書いていることは、そのほとんどが思いつきに始まる。
思いつきはそれ自体軽いタイミングの飛び出しだが、展開によってはとても重要な要素になる。

こう言い換えてもいいだろうか、人は思いつくが、思いつきだけでは、なんらの成果ともならない。
思いつきが何らかの手を加えられカタチになったとき、そのカタチが評価されることはある。
そのとき、そのカタチの底にはかならず思いつきがある。
その意味で思いつきほど大切なものはない。

だからこそ、あなたが何かを思いつくとき、その思いつきが以前の自分の考えとの矛盾をはらんでいようが、自己分裂といわれようが、大切にしたほうがいい。

カタチとなる表現はその先にあるからだ。
残念なことだが、カタチとならなければ思いつきは思いつきとして砂の上に書かれた忘れ去られる運命にあるラブレターとなってしまう。

カタチにすることは大変な重労働だが、いったん思いついたものはカタチにしてみたいものだ。
それがどんなにつまらぬものであってもカタチにしてみたい。

そういう作業の中で思いつきを造形する力が養われていく。
造形する力の養成が、さらに思いつきに磨きをかける。

ほんの些細な思いつきをみだらに放り出すことはヤメにしようではないか。
思いつきこそが、あなたのありようかもしれない。

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