2009年6月23日火曜日

病気だから仕方はないのだけれど

自分のうちをいくら探し回ってみても出てくるものはしれている。

何かが出てくるためには仕込んでおかなければならないし、仕込んだものが出てくるためには、その仕込んだものとの出会いのために何らかの刺激が必要になる。

この仕込みと出会いのために外部との接触が必要となり、その接触の中で外部のものの質(この場合は自分との関係性においてとするほうがよいかもしれない)を見きわめる技術を高め、いいものと出会う必要がある。

そういうわけで、少しでも元気ならば外に出るに限る。
外に出るのは気散じにもなるし、そうやって気散じしながら一生を全うするというのが、健全な生き方で、その際にその健全さを他に誇らないのが人間の徳というものである。

健全といっても所詮暇つぶしであって、同好の士でなければそんな話に興味も持つまい。
そんなところから仲間は大事という話も出てくる。

それもこれもなければ、鶴田浩二ではないが、「右を見ても左を見ても真っ暗闇じゃあござんせんか」ということになる。
で、実際のところはもともと真っ暗闇なので、それでわたしたちは手前勝手に灯りをともそうとしているのだ。

自分の灯りを大切に。
他者の灯りに敬意を払おう。

それが生きていくということの危なっかしさへの尊重だ。

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