2009年6月24日水曜日

精神の病

肉体的に現れるものであれば、人は大いに心配げにしてくれる。
それは、片手がなくなったとか、異常にやせてしまっているとか、片目がみえなくったとかを想像してみればいい。

けれども精神の病はそうはいかない。
何しろ外見上は何も変わっていないのだから。

不眠症の人間には、「眠ればいいだろう」と思うし、
うつ病の人間には、「がんばればいいだろう」と思う。
アル中には、「酒を止めればいいだろう」と思うのはいうまでもない。

けれども精神の病には、外に見える現象の裏にその因がある。
その大本を治さないことにはどうにもならない。
(書き添えておけば、精神の病の原因が精神にあるとは限らない)

実はわたしは精神的に弱く、始終、病がちである。
これを他者の目は、「あいつはくそだ」と見る。
確かに当たっている面もあるが、そうでないところもある。
けれどもそうでないところはなかなか見てはくれない。
(甘えるんじゃない。カタチにしなければ人は見ないのだよ)

それはそれでいい。
耐えてしのぶしかない。
そして、出来れば、わかってくれる人を一人でもいいから持つことだ。(もし、わたしの仲間がいればと思ってこの一文は入れました)

とにかく、精神の病を持つ人間はいじめられる。
人は自分の目に見えないものは、存在しないと思ってしまうのだ。

けれども、そうではないのだよ。

あの娘の美しさは目には見えないけれど存在するのだよ。
オレの悲しみは目には見えないけれど存在するのだよ。

このところ、わたしの精神の病をケチョンケチョンにくさされたから、思わず、こんなブログを書いてしまったよ。
まったくもって、精神の病はどうしようもないな。

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