2009年7月2日木曜日

復習するは我にあり


「復習するは我にあり」は、第74回直木賞獲得の佐木隆三の犯罪小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした作品である。
映画化もされており、緒形拳主演で評判を呼んだ作品でもある。
今村昌平監督はこの作品で、ブルーリボン賞と日本アカデミー賞を受賞している。

まあ、それはそれとして、いつものようにこのところ力が抜けて、そういう本をまたぞろ本棚から引っ張り出してきて読んでいるが、どうしたものか主人公、榎津巌に偏った読み方をしてしまう。

彼が悪い奴とは思えぬのだ。(悪いことをしているのはわかるのだが、どこか胸の奥に共感があるのだ、困ったことに)
つまり、どちらかといえば、同類だという意識が。

わたしの精神の病みもあるのだろうが、困ったものだと思い読んでいる。
それでも少しずつ本が読めるというのはうれしいものだ。

それは少しずつ書けることにつながるような幸せな雰囲気もどこかにうっすらとある。

先日、「書」を続ける人と少しお話をした。
それは、その人が「書」をやっているということだけが理由ではないのだろうが、この人は妙に曇りがない声を出す。
声だけでもまぶしい。

わたしはといえば、スリガラスが体中にまとわりついているようなものだ。

生きるということは、あるひとにとってはなんと明るく、輝いているのだろうかという幻想を抱いてしまう。

明るい人はその振る舞いの中だけでも明るさを発し続ける。
それは、一種の人の世の功徳のようなものだ。

そうやって考えていってみれば、榎津巌とわたしがなぜに同類かも次第にわかってくる。

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