知らない悲劇が覆う
評判になっているので「生きながら火に焼かれた」に目を通す。
そのなかで描かれる悲劇はともかく、いまだわたしたちの知らない悲劇がこの世界を覆っているのだという感を新たにする。
それは、差別された民族であれ、女性であれ、身分であれ、さらには動物であれ、森林であれ、構造的には同じで、差別する側には、差別する意識は薄い。
まさにそれは当たり前のこととして、まわりの同じ差別して当然の考えを持つ人たちに支えられている。
だからこそ、その差別する側の考えは相対化されなければならない。
その穴を開ける作業は、おそろしく大変な作業になるのだろうけれど。
この本は、その一例で、この本に書かれている状態をぎゃあぎゃあ騒ぐようなものではない。
そりゃあ、もう、ひどいものだが、このようなことが起こっているのだ。
新疆ウィグル地区でも何があったかわかったものではないし、この日本の社会で起きていることも悲劇として軽いものとは思われない。
この世界は、かくも多くの知られていない悲劇で覆われている。
さて、そこでわたしたちはどう動くか。
問題は、それらの悲劇とは別に自分が生きており、それらの悲劇のうちどれかと連帯するかどうかは自分に任されているということだ。
知ることは大切だが、動く体は一つしか持ち合わせていないというのが、わたしとあなたの現実だ。
はてさて…
ラベル: 作品
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