2009年10月17日土曜日

作家と人柄

松本清張、生誕100年ということで「ゼロの焦点」が映画化などされている。
ほかにもいろいろ今年は取りざたされた。

わたしもそれではと読み残していた「張り込み」を読んでみた。
あの時代が思い起こされ、清張が言うように推理小説ではないところに魅力が彷彿とされた。

この小説も映画化されているが、そして脚本は橋本忍だが、意外に原作に忠実なものだ。(この映画が清張原作の映画ではナンバーワンだと押す声も高い)
なるほど、この作品が小説としても映画としても主たる登場人物としての女が日常から非日常に連れだされるところがポイントだとよくわかる。(この小説は、推理小説としてかかれてはいなかったのだ)

それにしてもこの女はなぜに生きているのだろう。
胸のうちに何ものかが住んでいるはずもあるまいに。

ところで、松本清張氏の性格の悪さはいくつかのところで噴出してきてわれわれの眼にするところだ。
まことにあの根性の悪さといったらない。

手塚治虫にもそういうところがあり、そのことをある漫画家に話したことがある。
つまり、その人品が卑しかろうがなかろうが作品には関係ないのだと。
その漫画家、「あたりまえだ」とのたまわった。
わたしもそのときはそうだろうなと思ったが、今は違う。

いかにいい作品群と呼ばれるものを産み出そうともケチをつけたくなる気分だ。

そこに、人間への深い洞察がないのではないのかと。
あんなに他人へひどい仕打ちが平気で出来る連中には深い考察は無理ではないかという、あるいは無理であってほしいという乙女心だ。

乙女でもないくせに。

ところが、どうして、あの二人、人間を見つめる目も深く、作品もなかなかに深いのだ。

あんな性格の悪い二人が…

悔しいが、あの二人、そのまま、認めざるをえない。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム