2009年10月12日月曜日

凶気の桜

この小説が書かれたのは10年も前になるが、今の渋谷はどうなっているのやら。
こういうことがさらに進行しているのならば、それがどういう方向であるとしても、現状と比べれば酒井法子なんぞかわいいものではないか。

もちろん法を犯したことはそれがどんなにマヌケな法であっても問題なのだが、それは法を犯したということに関してのことであって、覚せい剤や大麻については個別に考える必要があるだろう。
その結果、十把一絡げに論じることになったとすればそれでいいが、そういった考慮もなしに結論が決まっているのは魔女狩りのようなものだ。

少なくともマリファナは別格に論じるべきだとは思う。

さておき、この小説はヒキタクニオの処女作でその後のヒキタクニオが著書においてどのような活動をしたかをわたしはよくは知らないのだが、この本だけを取り出してみれば、切れ味がすぐれて印象的だ。
また小説に若者の暴走を書くとき、切れ味のよさがなければそれはその段階でその作品は失敗なのだろう。

威勢のよさは時と場合を選べば、何はさておき必要なときがある。

そういうことをこの小説は教えてくれる。
そうしてそれはそのままヒキタクニオの生き方でもあるのだろう。

一陣の風が吹き去ったような小説だった。

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