2009年12月6日日曜日

宗教だとか思想だとか

たとえそれが幸せを感じさせるものであったとしても貧相なものを大切にするにはやはり力がいるだろう。
宗教だとか思想ならば、そのささやかなものの大切さを信じることで教えてくれるだろうから、それに頼るのに何の不思議もない。

けれども少なくとも日本に宗教は広く流布していない。
無理に動くことをしなければどうしても自分を頼るしかなくなる。
といって、それほど自分は頼りにもならない。

で、どうするかだが、思ってみるに、幸せだってそんなにたいしたものではなくて、ただそれを育てていく過程とか空間を満たせばいいだけのことだから、あんまり急く必要はなさそうだ。

だめならだめなままじっくりとあきらめて、歩くしかない。
「人生ちょぼちょぼ」というのは別の意味で当たっているわけです。

なんかしょぼい話になっていますが、もともと人生や幸せはしょぼいもので、その中にどこか納得できるものを見出していくのが力ではないでしょうか。
見出したものを表現した音楽や絵画や文学が美しかったり心動かしたりするのは、そこに力が介在しているからでしょう。
力の介在が美しく見せているだけでそれらの表現対象自体がどうしようもなくすばらしいと考えるのはどうでしょうか。
すばらしいかもしれませんが、それがだれでも見られるというのは眉唾にも思えます。
まあ、ゆっくりと気ままに、自分の周りのガラクタの中に幸せを探そうではないですか。
見つかれば自分にとって、あのガラクタがまんざらでもなかったことに気づきます。

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