2010年5月23日日曜日

わたしの愛した人たち

わたしの愛した人たちと思えば、すぐさまその顔は浮かぶ。

だが、どの顔もわたしには不満足である。
それほど美しい顔ではないし、人によってはこいつはひどいといったものでもある。
けれども、わたしはそれでも彼らを愛していいる。

正確に言えば、彼らの可能性を愛しているとなるが、ことはそう簡単ではない。
もちろん可能性を愛してもいるが、可能性に先立ってその存在そのものを愛している。

これはかなりい強烈な愛し方で、それほど持続力のあるものではない。
だから、ときどきはお前の魅力的な顔を拝ませてくれというわけである。

そういった魅力的な顔を見せなくても愛し続けているのは娘と息子で彼らの評価は地獄のように低い。
それでも愛は劣化しいないところにわたしの愛の特徴はある。

勤める会社にも愛の痕跡はあるが、ここでの愛に持続力はない。
くそはくそなのである。
意志なき人間に魅力は住まないのである。

そう言えば、わが息子に、わが娘に意志はある。
時に消え入りそうになるが、意志はある。
その頼りなさにわたしの心が泣いてしまうこともあるが、彼らには耐えてほしい。

脈略もなく、いま思い出した。
昨夜最後に会ったバーテンダーの野口や石井、店長の下里さん。
みんなわたしの可愛いがる人々だ。
つまりは、愛する人々。
愛する人々に囲まれて幸せなひと時。
(お酒なしのカクテルを頼んでごめんね。石井君、また今度、君のジルベルトマティーニを飲むからね)

そういう人たちがいてほしい場所もあるが、人材不足で魅力なき人々に埋め尽くされた場所もある。
わたしのそばにいれば、違う世界が見られるものを。

My love wants to have its destination.

これでよかったかな、南。
今年お前の入った上智大でお前は愉快に暮らしているのかい?
素敵な男に出会えるといいな。
須賀敦子さんの残り香をもつ女性と出会えるといいな。

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