2010年7月12日月曜日

武蔵美の友人の落胆

昨日は、高円寺に住む武蔵美を訪ねようと、自宅から自転車を走らせて行きました。
武蔵美は、相変わらずの余裕で、散歩しながらのわたしの話をニコニコと聞くのでした。
そういった散歩の中で、武蔵美がもらしたのが、

「あなたの『ほれた女を忘れるために』の結論は面白くないって、わたしの友人が言うのだけれど…」

であった。

で、キミは? と重ねると、武蔵美は何も言わずににっこり微笑んだのでした。
どちらとも取れるような笑顔でしたが、まあ、なんだかなあ、と思いわたしは口を閉じたのでした。

さて、武蔵美の友人に謝るべく「ほれた女を忘れるために」のタイトルを代えたいのです。
こういうタイトルがあのブログには適当だろう。

「それがほれた女であるとき、キミは…」

つまり、もし相手がほれた女であるならば、任意の女がそのほれた女の代わりにはならないし、おそらくいかにほれている主体のあなたが変容しようとも、あなたの前のほれた女は嫣然と微笑むだろうと言ってみたいわけだ。

代替の女で霞むなら、その人にあなたはほれていないだろうし、大きな悲しみにうちひしがれたときに、あなたが自分でなくなりそうになるときに、その人がほれたほれられたの関係にあるならば、多分あなたの傍にそっと寄り添うだろう。

そういうことをわたしは、今は思っている。

悪かったね、武蔵美の友人さん。

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