2008年3月14日金曜日

久々の映画



春の雨 まにあいそうねと 女云い

肩と首が限界を超えてこってしまっていたので、息も絶え絶えに孫先生のところに逃げ込んだのが、16時。
その前に安いチケットを所有していたので、無理をして『クロサギ』『ジャンパー』を見る。
久しぶりの映画もいいものだ。

『クロサギ』では山崎努を見られて幸せだった。
前々から好きな俳優であったが、ガキタレントたちとは段違いの演技をした。(けれど、作品として閉じるためにはガキタレントも大いに重要なファクターであったし、山崎とは違うだけで、がんばっておりましたよ、みんな、はい)
あれを演技と呼んでいいのか、どうかは別として。
自宅に戻って、数年前に読んだ「俳優のノート」山崎努著を引っ張り出して眺めたが、いいものを見た思いが、再び湧いてくる。
彼の舞台を近々見たいものだ。

ストーリーなどは、いま流行のマンガから起こしたものであるから、週刊ヤングサンデー連載の夏原武原案、黒丸漫画の作品を追えばいい。(2003年11月から連載開始)
よくできたストーリーだ。
だいたいが、「シロサギ」「アカサギ」「クロサギ」の説明からたいしたエンターテイメント性を感じさせるではないか。
それに加えて主人公の「クロサギ」が黒崎という名前。
おーおー、ようやってくれるわ。
『新宿鮫』も真っ青ではないか。

後は、丹念に話を作っていけばこれはヒット間違いない。
間違いないとはいえ、その取材はとても大変だろう。
とにかく、原作者に拍手。
漫画自体は読んでいないので、漫画家さんのことはよくわからない。

『クロサギ』のなかに
シェークスピア「マクベス」からとったセリフが出てくるが、このときの山崎は圧巻だった。

「明日、また明日、また明日、また明日、また明日、… と時は小刻みに過ぎゆき、ついには決められた最後の一瞬にたどりつく、人間は動き回る影に過ぎない」

これは、以下の『マクベス』からの借用だろう。

「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。
消えろ、消えろ、つかの間の燈火、人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。
舞台の上ではおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう、
白痴のしゃべる物語だ。
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。」

にしてはあまり変えすぎているが、どちらも翻訳だからこれ以上立ち入っても仕方あるまい。
脚本の箱崎さんもがんばったと解釈すればいい。
『クロサギ』は山崎努を見るだけでも価値はあるな。

「どうしてライター使わないんですか?」
「忘れた」

いいシーンを入れましたね、箱崎さん。

さらに『ジャンパー』も佳品として好感が持てた。
ハリウッドは『ストックホルム症候群』的な状況をすぐに使いたがるが、(厳密に言えば、主人公は犯人じゃないけど、「何かの理由で事件に巻き込まれた女が、主人公と一時的に時間や場所を共有することでついには過度の同情、さらにラスト近くに特別な依存感情を抱くようになってしまう」 とストックホルム症候群を読みかえればわかるだろう。)この安直なストーリー構成には辟易だ。
『ジャンパー』にも若干そういう構成はあるが、軽くいなす風情があり、よろしかった。
特撮も楽しめた。
これはこれで、たまに見るのにいい映画でした。

わたしはその後、孫先生にこりをとってもらい、その後清王朝の話などをして、(清の漢民族融和政策とか、孝庄太后の話とか、さ)自宅に戻ったのだが、もう少し中国語ができないとこれ以上孫先生とは深く話せないと思い、自分の不勉強さをのろった。

明日、明後日は土日となるが、どこか短時間でもいいから働き口を探そうと思っている。
こうも手元不如意が続くと、わたしもきびしいのです。

これも、わたしがキリギリスであったことへのツケでしょうか。
生きていくのもなかなかに大変で、正岡子規のような気分になるのは、いつの日やら。

仕事がらみの情報「tonbomaru55@yahoo.co.jp」までよろしく。

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