2008年3月9日日曜日

当事者と傍観者

このタイトルで以前も書いたような気もするが、大切に思っていることなのだから自戒を込めて、何度書いてもよかろう。

今朝のTBS「時事放談」に鶴見俊輔氏が出演されていた。
異常なことだ。
彼は必要以上にはテレビに出ることを好まなかったはずである。

そのとき、彼が話したことは
「いまの日本の人々には当事者の意識がない」
ということだ。

つまり、道路特定財源はあなたの問題であるはずなのに、傍観者然として何の反応もしない。
出発点がおかしいんですよ、ということを言っていた。(ニュースで見ただけだから細部は危ない。)

しかしながら、こういう現実は鶴見さんは先刻ご承知のはずである。
にもかかわらず、なぜにテレビまで出演して語ったか。
この社会が、とても危ない状態に来ているという認識なのだろうか。
しかし、この日本に対する絶望は、四五年前に京都でお会いしたときにすでに語っておられた。
それが、なぜ今になって、こうも躍起に。
小田実死去ということもあろう、あるいは自分の身体に対するある予感もあるのだろう。

3月1日には我孫子で柳宗悦について語る講演も引き受けておられた。
(出来れば、もう一度お会いしたい。)

話がそれにそれた。
それたついでに書く元気もなくなってきた。
それでも…

人は自分として生きていく。
その自分は、まさに当事者としての自分だ。
自分が見たものを自分で考え、自分で行動し、自分でその結果を負う。
そしてまた同じように自分で進んでいく。
自分が自分であり続けるというのはこういうスパイラルの軌跡を描いていく運動だ。

もうひとつの態度がある。
それが傍観者である。
人がすることにあれこれ批評をし、自分の位置をこれっぽっちも変えようとしない姿勢、だがそれはいい。
傍観者であることがもっとも恐ろしいのは、自分に対しても傍観者になってしまうことである。
つまりは、自分を棄ててしまうのである。

マスコミや誰かの言ったこと、主張することをいとも簡単に自分の考えや思いとすり替えてしまう。
そうすることで、うまく立ち回っていくが、立ち回り始めたときには、なし崩し的に自分は消失する。
そして、傍観者たちはどうやらそうすることが気持ちいいと思っているきらいがある。

まあ、そうしたほうが楽だしね、何しろ当事者として生きていないから痛みを持つことはないし、感動は人からもらえばいいし、楽しみもマスコミのいうようにやっていれば楽しい気分にはなる。
もし欠けているとしたら、当事者としてしか味わえない「本気の味」だろう。

「本気の味」

ひさしぶりに語る言葉だ。
この味を知ってしまえば、傍観者であることはつらくなるが、知らなければ傍観者として安穏として生きていける。
もちろん生きているのはあなたではなく別の誰か(=国家やマスコミによって作られた都合のいいステレオタイプの人間なのだろう)なのだが、それに気づくことはない。
恋愛でさえ、他人の目を気にする。
傍観者の悪しき性癖だ。

まあ、いいさ、そうやって傍観者として生きていくのも。
ただ、望むならば、自分が傍観者として生きていくことを選び取ったということを認識してほしい。
その認識さえあれば、あなたは当事者へとオセロのように裏返る。
めんどくさく言えば、当事者としての傍観者となり、いつの日にか本格的な当事者として登場するかもしれない。

なにか、傍観者である誰かに対する批判のようになってしまったが、じつは、これはたくまれたもので、そのようにこの国は出来上がっている。

「そのように?」

そう、そのように、つまり傍観者を再生産するように。

それはいつ誰が仕組んだのか。
ここまで書いてきて、はっきりと思い出した。
この文脈は以前も書いた。(進歩ないねえ)

そのことを明らかにするのは、社会学者たちの仕事だ。

鶴見さんは今朝のテレビで言う。

「傍観者じゃだめだ、当事者でなければ、この国の多くの人々は出発点から間違えているんだよ」

しかし、私は依然彼から同じ文脈を聞いた。
そのとき、彼は確か、そう追い込まれていくシステムがこの国にあるようなことも同時に言っていた。

当事者である人々は、いま連帯できるのか。
それよりも何より、当事者はいまこの国にどれくらいいるのか。

「おまえが一番の女だ」と言うとき、腹の底からそのセリフをはける当事者がどれだけいるのか。

「もはやどうしようもないところまで胃がんは進行しています」
そう医者に宣告された小田実と妻、玄順恵(ヒョン・スンヒエorスエ)は部屋に戻ってからも押し黙ったままだった。
しばらくの沈黙のあと、小田は顔を上げて順恵を見た。

「おまえは、いい女だった。オレの知っている中で一番いい女だった…」

それから…小田は少し間を置いた。

窓際からは、薄日が差している。
よく聞けば、遠くに小鳥のさえずる声も聞こえる。

いたずらっ子のように小田の目が光った。

「けど、オレもなかなかの男だったろう、順恵」

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