「比べられるもの」あるいは「比べる必要のないもの」
写真は棋士番号222「木村一基八段」である。
昨日から今日の早朝にかけて「将棋界で一番長い日」がゆっくりと、そして時には濁流のごとく過ぎていった。
「将棋界で一番長い日」
「A級順位戦最終日」のことを将棋界ではそう呼ぶ。
詳しくは説明しないが、「A級」とは、「名人」に続く将棋棋士のトップ10と考えていただいてかまわない。
そのトップ10の総当たり戦が 「A級順位戦」である。
この順位戦での優勝者が、名人挑戦者となる。
今年度は、その資格を羽生善治、あの男が獲得した。
羽生の話は、また改めて起こしたい。
向こう見ずにまともに生き抜いてきた男であり、そして才能を磨きぬいた技術も持っている幸せなような不幸なような男である。
もちろん敬意をもって相対すべきことは言うまでもない、頭の下がる男だ。
さて、今回の「将棋界で一番長い日」には、もうひとつの焦点があった。
一秒に一億三手読むと棋士たちに敬意を表されている佐藤康光棋聖がA級陥落の危機にあったのだ。
最終戦に佐藤が勝てば、残留。
しかし、負ければ、事件になる。
その佐藤の最終戦の相手が木村一基だった。
木村は、あろうことかタイトル戦以外に棋士がめったに着用しない着物姿で登場した。
本気になって、佐藤を負かしに来たのだ。
言っておくが、この最終戦、木村にとって勝っても負けてもどちらでもよい勝負だった。
(正確に書けば、佐藤ほどの意味はなかった。)
それを、本気になって、佐藤を地の底に落としに来たのだ。
勝負は、圧倒的に佐藤有利な将棋を木村が、粘りに粘りひっくり返しにかかった。
おそらく、通常の棋士なら指さないであろう手を何度も指し、耐えに耐え、逆転のチャンスを待った。
そして、ついにそのチャンスは訪れた。
午前十時に始まったその将棋は、すでに翌日に入っていた。
もう、十二時間以上指し続けているのだ。
佐藤の顔が苦悩にゆがむ。
一方、木村は涼しく、美しく、わずかに輝きさえしている蛇蝎の顔をしていた。
将棋のわかる方は、棋譜を並べてみればいい。
その逆転後から両者は一分将棋に入る。(一分以内に指さないと負けというルールだ。)
そのなかで、木村は詰みを逃す。(勝っていたのに勝ちきれなかったというほどの意味。)
佐藤勝つ。
時刻はすでに午前一時を過ぎていた。
佐藤A級残留決定。
インサイダーで有名なNHKの衛星テレビでやっていたので、ご覧になった方もいるだろうか。
その番組はこういう空間が、いまの日本にもあるといった空間を映し続けた。
その間、間の抜けたNHKアナウンサーの言葉が入り続ける。
「おまえは黙っていればいいのだ。おまえのその穢れ切った言葉の一つひとつが映されているこの空間をどれだけ台無しにしているのかわかっているのか。」
そう、わたしは、何度も思ったが、それは仕方なかろうとも思った。
このNHKのアナウンサーなる男は何も見えていないのだ。
目の前の空間が、いかなる空間か見えていないのだ。
みなさんは、目の前の空間が、誰の目にも同じように映るなどという迷信を信じておられはしまい。
だから、見えなければ、それは仕方がないことだし、その人に文句をいうこともできない。
ただし、NHKにそれが見える人がいれば、あの番組制作態度は疑う。
目の前の光景をナレーションのセリフが汚すシーンなど数えきれぬほどあるだろう。
そのためにあなたたちは映像作りに苦労するのではないか。
局後の二人の対局者の姿は、そのままそのありうべからざる空間を維持し続けた。
じつは、この番組には彼のNHKのアナウンサー以外に二人の解説者がいた。
二人ともプロ棋士である。
目の前に繰り広げられる将棋を前にして、ひとりは途中から黙った。
深浦康市王位だ。
もうひとりは、軽い言葉を発し続けた。
橋本崇載七段である。
若さがさせたわざかも知れぬ。
しかし、橋本さん、それはいかんだろう。
局後の対局室に現われた棋士がいた。先崎学だ。
木村の見逃した詰みを指摘しにきたのだ。
彼の評価も難しいところだ。
棋士たちは、何かを極めようとしている。
本人が、それを知っていようがいまいが、それは事実である。
そして、次第次第に極めることから何人かが離れていく。
選び取られた人間たちの中にもそういうことは起こる。
そのことは、あるとき比較して語られても仕方ないことだろうし、何よりも自分のありようと木村一基のありようを本人が比べなければならないだろう。自分が選び取ったプロという職業だからな。
「いいものを見ました」
テレビの中で橋本七段はそう語ったが、見えているはずはない。
テレビに映った顔、とりわけその目を見て思った。
でも、まあ、いいさ、君はまだ若い。
いつの日にか過去の将棋を思い出して見ることができるかもしれない。
人の記憶は何度でもトライさせてくれるやさしいところがある。
今日のところは、記憶に焼き付けるだけでもいいさ。
一方、深浦王位はなにもコメントしなかった。
見たのだろう。
彼は確かに見たのだろう。
それは、何かわからないが、おそらくわたしより数段深くえぐられるようななにものかだろうが、確かに彼は見たのだろう。
彼は強くなっている。そして、さらに強くなるのかもしれない。
深浦康一は来期A級に復帰する。
恐い存在になっているように思う。
れる橋本崇載七段?
ここしばらくはムリかも知れんな。
先崎学?
テレビに映った彼は、傍観者だった。
棋士があの勝負を当事者でなく傍観者として眺められるということは終わったということである。
先崎は棋士生命が終わっているのかもしれない。
かくのごとく、彼らは比べられるし、本人が比べられること、そして比べることから逃れることは出来ない。
彼のNHKアナウンサー?
彼は棋士ではないもの、比べる必要も意義もないでしょう。
彼はアナウンサーとして彼の思うように生きていけばいいだけのことだ。
さて、わたしはといえば、佐藤康光や木村一基と比べる必要はない。
ただし、あの生きる姿は翻って我が胸のうちにたずねることを生み出す。
わたしもまたそこからは、逃れることは出来ない。
いいものを見させていただきました。
長いブログになってしまった。
ごめんね。
ラベル: 将棋
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