「九条の会」
「九条の会」については、それぞれの方が、それぞれのご意見をお持ちだから、それはみなさんにお任せする。
わたしは、今日の「九条の会」で見たある景色をここに写し取ることをこのブログでしておくことにする。
それは、85歳を越えようとする老人が、まさに85歳を越える老人の姿をし、壇上に立ち上がり、そして、いすに腰掛けながら話し出したとき、老人が、瞬く間に若者にメタモルフォーゼするその瞬間のことだ。
こういうことは、ごくごくまれに起こる。
それは、加藤周一氏の講演のときに見たことがある。
そして、今日は、身びいきになってしまうが、鶴見俊輔氏の中に見た。
何と若々しく力強い語り口なのだろうか。
ものを考え続けるという作業が彼をここまで連れてきたことは実感できるが、その道のりまでは、わたしにははっきりとはイメージできない。
しかし、今日の講演で彼が口にした。
「自分がいま見たこの世界を大切にする」
という亡き小田実の流儀でいけば、わたしも目の前で語る鶴見さんの姿や声を大切にしていけばいいのだなと、思う。
内容は、ここで書くのはよそう。
それは、それぞれの方が、実際の鶴見さんの文章で出会えばいいことだろう。
ただ、参考までに本日の講演ではないが、2004年8月13日『憲法九条、今こそ旬』の講演内容から一部を引いておくことにする。
★「個人として、人類の歴史として、何かがあったから法がつくられたのです」
「法の前にあるものがとても重要だ」
鶴見氏は続ける。
政治を捉えるには広い解釈が必要であり、例えば家庭の親子関係など「人間の関係から政治は始まって」おり、つまり「家庭は政治とつながって」いて、「国会の中にあることだけが政治ではなく、政治を職業政治家集団に委ねてはならない」
「私が理屈として言いたいことはそれだけ。今日は、法の底にあるものについてお話したい。私の中に生きていることだけをお話ししたい」と鶴見氏は述べた。
★鶴見氏はアメリカの捕虜収容所にいた際、日本に帰ることができる「交換船」に乗るかどうか、選択を迫られた。
彼は「監獄の中にいても、アメリカにいれば生き残ることができる」と考えていたし、「日本は確実に負ける。そして日本国家がいいとも全然思っていなかった」と言う。
しかし、「乗る」と答えた。
その理由を、鶴見氏は、愛国心でも何でもなく「負ける時には負ける側にいたい」というぼんやりとした「哲学的信条」にあったと言う。
鶴見氏は「自分にとって重大な信条とはぼんやりしている。
明示的にはっきりと命題にできるものは必ずしも自分を生かし、支えていく重大な信条ではない」と語る。「自分を支える哲学の底には自分が分かっていないものがあるのです」
これに対しての感想は、あなたとわたしでは違うだろうが、少なくともうわべの意味内容ではなく幾層にも重ねられた思弁の中から、ようやく取り出され、それをようやく表現したものだと、わたしは知っている。
ここに、ひとつの思想家の姿があるとわたしは思っている。
もちろん、これはいまわたしのたどり着いた感想であるし、それ以上の意味は持たない。
したがって、鶴見氏の発言内容について議論する気はさらさらない。
わたしが述べているのは、鶴見氏が2004年8月13日『憲法九条、今こそ旬』の講演のなかで、このようなことを語ったというだけのことです。
そして、ときとして、内容を吟味するより、まずはその発言をそのまま身の内に取り入れてしまうことが大切なことがあるということを付け加えておきたい。
これは無批判ということではなく、身の内に取り入れずに何かをいうことではなく、身の内に取り入れてしまって、その内容と幾日か幾ヶ月か暮らす中である考えが自分のなかに湧いてくるのを待つという作業が、思考するには必要なときがあるというわたしの判断を言っているのです。
そうではないと思えば、そうではないようにすればいい。
いつも書くように、たいていのことはあなたに任されているのだから、いらぬ心配はいらない。
本日の九条の会は『小田実追悼会』であった。
「一人でもやる。一人でもやめる。」
小田さんの生前よく口にした印象的な言葉でこのブログを締めることにする。
鶴見さんが、ここまでよく生きていてくれたことに感謝する。
そして、深々と小田さんに合掌。
ラベル: 日常 考察
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