2008年3月12日水曜日

エレクトラ

「エレクトラ」を読了した。
この本によってわたしは「中上健次」「高山文彦」、二人に出会うことになる。

高山文彦は長くこの人はと思っていたノンフィクションライターだった。
その契機となるのは、確か夕刊紙に載った彼の青春の思い出を綴ったエッセーだった。
詳しい内容は忘れたが、その忘れた内容で「この男は信用できる」とわたしは判断した。
その後、彼の著作は追いかけたが、どれも最後まで読み進むことができなかった。
「火花」「少年A」[14歳の肖像」…
半年前に「水の森」を読み返したとき、やっと、この男、文章に心を織り込めるんだなとわかった。

そして「エレクトラ」。
この作品を一気に読み干した。
読み干したあと、これからは高山氏の作品はどれでも読めるようになるだろうという感じをもった。
ようやく彼の作品を読める目がわたしに宿ったのだろう。

「エレクトラ」はサブタイトルに「中上健次の生涯」とある。
この作品で、わたしは高山氏によって、中上健次を紹介された。

中上健次もわたしにとって、どこか知らない世界の人だったし、たまに手にとって見ても何がどうなのかまるで見えなかった。
それは見えないはずで、座っていたのは大蛇の背中だったというようなことである。

高山氏によって見せていただいた中上氏の全体像がわたしには見えていなかったのだ。
ほんとうに何も見てこなかったんだなという思いとようやくたどり着いたわずかな安堵とうれしさが交錯している。

とにかくく「エレクトラ」で新しい出会いがあり、見えないものが見えるようになった。
肉体的に視力は減退し続けていくのであろうが、もうひとつのものを見る力でのぞくこの世界は、わたしのいままで見てこなかった世界だ。
毎夜毎夜、恥ずかしげもなくよくぞ酒を飲んでこられたものだ。
ディレッタントに落ち込んだ連中の相手をしながら、よくぞ時間をどぶに棄ててこられたものだ。

いま見えかけているこの世界、もう少し見続けていたいと思う。
「のぞきからくり」のように、「押し絵」のように、わたしをどこかへ連れて行ってくれるかもしれない。

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