違う風景を見せておくれ
先に紹介したETV「小田実特別番組」のラスト近く、玄順恵がスタッフに、夕映えに広がる「いわし雲」を気づかせるシーンがある。
そのシーンを眺めながら、このように小田さんもいくつかの風景を見せてもらったのだろうと感じた。
玄順恵は美しい女性である。
「九条の会」でお見かけしたときそう思った。
しかしながら、彼女と小田さんがいっしょになる前後の写真を見るとそのころは飛び抜けた美人でないことがわかる。
小田さんも動きのない静的な写真を見る限りだが、あまり今ほどの魅力はない。
(あくまでも姿形の話に限定してのことだから、ご注意を)
おそらく、彼らの三十年余りの、ともに歩いた生活が彼らをあのように育てたのだろう。
そして、内面はともかく外から眺めていても美しい寄り添う二人の風景になっていったのだろう。
ある人とある人がともに寄り添うことでこのような歩みをもてるということは、そうそうあることではない。
そうそうあることではないが、まったくないわけでもないのだ。
自分に違う風景を見せてくれる相手、そして、その相手の目に自分の目を素直に重ねられる自分。
そういう関係はある。
人間関係に関して、憎憎しげなことばかり書いているわたしだが、人間関係の可能性を忘れているわけではない。
相手を憎んだり蔑んだり批判したりするだけが人間関係ではない。
ともにいることで、二人して歩んでいくことでしかたどり着けない道をたどることもできるのだ。
小田さんは玄順恵を「人生の同行者」と呼んだ。
あたりまえのことだろうが、かけがえのない「同行者」だったのだろう。
思い出してしまったので、重ねて同じ番組の感想を書いておくことにした。
願わくば、そういう誰かに皆さんが出会われることを望む。
ラベル: 日常 考察
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム