2008年3月10日月曜日

いまだに、知らない自分に出会えるのか

断酒を始めて三週間ほどになるが、わたしの予期しないことが起こっている。
あの酒飲みで鳴らしたわたしが、このところ酒のことを忘れかけているのだ。
飲むのを我慢するというレベルではないのだ。
ときどき、酒の存在をきれいさっぱり忘れるのだ。

酒が、嫉妬深い女なら(事実嫉妬深いのだが)、あたしゃ殺されているね。
「あなたとあたしはなんだったのよ」
なんて、えらいことだろうな。

しかし、わたしだとて知らなかったのだ。
まさか、酒を忘れるような事態になるなどとは。

わたしに酒はまったく必要なかったのか。
もちろん、アルコールにあれだけ親しんだわたしのことだから飲み始めればまた元に戻るのは見えているのだが、それにしてもだ。
わたしに酒が、果たして必要であったのかは考える必要がある。
その先には、人に個人的に必要なものを判断する力はあるのか。
人に必要なものはなにかを判断させてくれるのに十分な要件とは何か、というところへつながっていく。

わたしは、酒を忘れてしまう自分の姿をイメージしたことはなかった。

ということで、タイトルだ。

「いまだに、知らない自分に出会えるのか」

とにかく、知らないことだらけだワイ。

だからさ、あなたもそこら辺の誰かに何か言われたって、気にすることはないからね。
その誰かが、わかっているはずはないもの。
おそらく何もわかっていないに違いない。
その証拠にあなたにアドバイスか何かしただろう。
それが証拠だ。
何を教わったか知らないが、ものを考えている人間が要もないにもかかわらず、軽佻浮薄に話すことはない。

いや、もしかしたら、あるかもしれないって。
そりゃあそうだ。
だったら続けよう。

そして、さらに大事なことは、われわれは彼なり彼女なりの話がどの程度のものかを量るには、内容で判断してはいけないということだ。

では、どうするか?

すべからくコトバは重さで判断しなさい。

どうやって重さを量るかって。

それが難しいんだよ、ご同輩。

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