小田実氏の番組を見て
ひとつ前のブログで「当事者と傍観者」なることを書いたが、あれから一日もたっていない今、小田さんの思い出、あるいは言説を綴った番組を見て、「あのブログ、ずいぶんとえらっそうだったワイ」と語気とは裏腹に、クシュンとなってしまっている。
だいたいが、わたしなるものは当事者として本当に生きてきたのだろうかねえ。
そう思い始めてしまう。
だが、考えるのはよそう。(また、夢になるといけねえから…「芝浜」じゃないんだから)
「見る前に跳べ」ということだろうな。
ああ、まいった、まいった。いい番組だった。
要は、当事者であっても前に進んでいない当事者もいるわけで、そのあたりがせつない。
わたしの場合は、おそらくはわずかながら前に進んでいるのだろうが、それを進んでいるというのか、むしろ止まっていると言ったほうがよくはないか、というところか。
当事者は、当事者らしく前に進めということだろうな、良くも悪くも、結果など気にせずに。
悩んだり、憎んだり、後悔したりしていてもたいして役には立たんということだろうな。
それでも、悩みはするだろうが…
まず、前向きにいかせていただきます、ぼちぼちと。
ところで、小田さんも言っていたが、この国は、やはりかなり間抜けらしいぞ。
それだけは知っておこう。
それを具体的に知ったその後どうするかは、それぞれの問題だが、この国がひどいものだということは、知っておいたほうがよさそうだ。
それが、市民の義務だろう。
小田さんのコトバで言えば、そうでないと「大きな人間」に「小さな人間」が振り回されてしまう。
これは小田さんに教えられた手前、はっきり書いておきますが、どのようなことをしていてもそれはわたしとあなたの自由ですが、この国の状態がどうであるか、この国がアメリカに対して、アジアに対して、われわれに対して、…どのような態度であるかは知っておいたほうがいい。
なんなら、小田実を図書館で覗き見すればいいではないですか。(小説じゃないほうの作品をね)
で、さらに書きますが、今、この国で、広げて世界で何が行われているか、大事なことを知らないのは罪だと思います。(何が大事かというのは、はしょりますね。)
もう一度繰り返しますが、知った後は、あなたが何をしようがあなた人生ですもの、自由です。
ただ、知っておかなければいけないこともある。
そういうことです。
まあ、牛の歩みではあっても、愚痴ったり、人を憎んだりしないで、少しでも足を踏み出していこうではないですか。
もちろん、どの方向へ、足を踏み出すかは、あなた自身の決めることです。
よくよく見ていると、ごっつい人があちこちにおられて、恐縮至極です。
明るく陽気にいきましょう。(ぴろき風に)
ラベル: 日常 考察
1 件のコメント:
豆に更新していますね。
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