さらにルイ・フェルディナン・セリーヌ
セリーヌとはあのセリーヌである、「夜の果てへの旅」の。
この人もずいぶん長く胸のうちにしまっていた人だが、今回読んでみて、ようやく彼の書くことが感じられるようになった。
ふわりとわたしの中に軟着陸した。
それからも、もぞもぞと動いているようだが、気持ちが悪いわけではない。
もはや身の内になったものは、わたし同然だから、血液が流れるのと、リンパ液が流れるのと、ホルモンを分泌するのと同じようなものだ。
ここで重要なのは理解しよう、わかろうとしようという意志で、このようなかたくなな態度は何ものも引き寄せることはないし身の内に運ばない。
わたしは、この態度だけは一貫しており、そのため多くの理解できない作品群、人物群を抱え込んでいるが、このところそれが次々と氷解していく。
これも地球温暖化の影響でしょうか。
何度もこのような話を書いていますが、このての話のポイントはひとつ。
「わかろうとするな、感じろ」です。
わかる、理解するの世界は、わたしやあなたとはまったく別の世界だから、気にするのはやめましょう。
そして、それが同じだと思ってしまいがちなわれわれに塗り込められた習慣に気をつけましょう。
いろんなことがわかっている人は、何の脅威でもないのです。
むしろ感じる人を恐れましょう。
むしろ感じる人を大切にしましょう。
自分も含めた集合として。
ラベル: 小説
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