あれに逢いに
最近もキャベツが仲間に意思を伝えているとの研究が(青虫が葉を蝕むときに青虫の天敵の蜂を呼んだり、すぐそばの連中に青虫が来ているからねと教えたりしているというのだ)発表されていたが、植物に何らかのシグナルがあるというのはそういった研究前からわたしたちのなかにはっきりと感じることがあった。
わたしが「あれ」と呼ぶ善福寺川沿いのハクモクレンにもう遅すぎるぞと思いながら午後遅くに会いにいった。
怒っているだろうなという思いは、わたしと「あれ」においては擬人法ではない。
実際そういうやり取りがある。
「あれ」が最後の白く立ち染める姿でそこにいたのはわたしの幸せであった。
近所の方だろうか、初老の婦人が、
「ことしはなかな咲かなかったから心配してたの」
とわたしの肩越しから声をかけた。
こういう逢瀬もある。
「あれ」を見ながらそう思った。
しばらく、わたしはそばにいたが、「あれ」の機嫌が直る風情をいくらか感じたときに去ることにした。
そのそばにある梅にふふと目がいってしまったが、「あれ」もそれほど狭量ではあるまい。
また、花の咲かぬころ訪ねることにするよ。
今日は圧倒的な暖かさで、人出も多いかと思ったが、「あれ」のそばにはだれもおらず、先述の婦人がわたしの後から現われただけだ。
みなの目はすでに三部咲きから五部咲きに移りゆく桜に向けられていた。
けれど、わたしは「あれ」だけに目を遣っていた。
「あれ」への思いは空に向かうあの白いりりしい花の散りしあとにも続く。
わたしにとって、「あれ」もまた大事な仲間なのであった。
ラベル: 日常
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