NO MORE WAR
このブログの文脈からわたしがアメリカのことを悪く思っていると感じておられる方がいるかもしれない。
じつは、意外にそうではないのだ。
イラク戦争が始まって五年目の今日、アメリカのあちこちで反戦デモが行われた。
もともとイラク戦争は、ひと握りのブッシュとひと握りのネオコンがはじめたものだという意見があるが、概ねわたしもその意見に賛同する。
賛同するが、そのひと握りが大きな権力を握っていることも言及しなければならないし、その背後にどういう人々がいるかということも言及しなければならないだろう。
そのようにアメリカはモザイクになっており、そもそも十把一絡げに「アメリカは…」という発言自体危なっかしいもので、その危なっかしさを認識せずに「アメリカは…」と言っている御仁は、あまり信用しないほうがいい。
というようなことを今日のアメリカの様子を映像で見て、その重層性についてつらつら思っていたのでした。
わたしの近くにときどき、若者が豆腐を売りに来るのですが、そのとき昔懐かしい豆腐屋のラッパを吹く。
もともとは、豆腐は生き物で水に泳がせていてもその日のうちに売り切ってしまわないといたむので、こういう行商は始まった。
ということを思うと、水に泳がせてもいないのに今のスーパーの豆腐はなかなか腐らない。
なぜだろう。
考えてみてもいい話だ。
豆腐談義はともかく、豆腐ラッパは「宮本ラッパ」にかぎるというのが豆腐屋さんの見解で、足立区宮本喇叭製作所で作られたこのラッパが日本全国で使用されているのだが、すでに職人さんは死去し宮本喇叭製作所は廃業してしまっている。
だから、吹いたときに「パー」と音がし、次に息を吸い込んで「プー」となるあのハーモニカと同じようなリードが使われていた宮本ラッパは、各豆腐屋さんが手元においているもので終りとなる。(時代が過ぎていくのを感じるのはこういうときだろうか)
この間、「タテタカコ」を聴きに行ったとき、宮益坂を歩いたが、有名な「志賀昆虫」と「小川はかり店」を見かけた。
「小川はかり店」はご主人の病気ですでにしめておられると聞いたが、「志賀昆虫普及社」はいまだ健在といった風情だった。
おそらく「志賀昆虫」の店内に入れば、いまでも防虫用のホルマリンやアルコールが微かに臭い、採集用具や飼育用品、標本作成用具、南米のモルフォ蝶の標本、貴重な専門書が並べられているのだろう。
こういったものたちは、普段目にするテレビの中には登場せず、日本がモザイク社会でなくなって、何色かわからないが、けばけばしい原色で塗りつぶされていっているようにも感じてしまう。
良くも悪くもモザイク社会アメリカとは違うと言うわけだ。
志賀昆虫店は昭和6年創業、いまの4階建ての店は昭和38年に建てられた。
ここで、昔、北杜夫を見かけたことがある。
そのときも思ったが、今も思う。
「どくとるマンボウ昆虫記」はやはりいい本なんだな。
ラベル: 日常 考察
2 件のコメント:
最近、宮益坂周辺で豆腐屋さんがリヤカー引きながら歩いてるので気になって調べててこのHPを覗きました。この都会の雑踏の中豆腐屋さんのラッパの音がとても心地良いのです。。ところで上の写真2枚目の手前の小川はかり店さんは先月取り壊してしまいました。昔からある古びたかんじの建物で私は個人的に好きだったのですが今は空き地となっています。
最近、宮益坂周辺で豆腐屋さんがリヤカー引きながら歩いてるので気になって調べててこのHPを覗きました。この都会の雑踏の中豆腐屋さんのラッパの音がとても心地良いのです。。ところで上の写真2枚目の手前の小川はかり店さんは先月取り壊してしまいました。昔からある古びたかんじの建物で私は個人的に好きだったのですが今は空き地となっています。
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