2008年8月2日土曜日

話し相手

独居老人だけではなく、若者にあっても、この時代には孤独感(それが本当の孤独であるのかどうなのかは別として)が充満している。
あの携帯を使って絶えずメールで連絡を取り合う男の子や女の子にも孤独感の影を見ることがある。

会話を行うことで、ストレスが低下する傾向はしばしば指摘されることだが、これは自分のストレスの原因を吐露することで(自分がそうであろうと判断しているストレスの原因だが)、わだかまりを放出し、一方、自分がいかなるストレス状態にあるのかを説明するうちに、自身の内にあるもろもろの未整理の情報を整理していくことがときとしてあり、これによりストレスの原因を客観的に理解し(うまくいけばだが、うまくいったように感じることはままある)、ストレスの対処方法に到ることが容易になると考えられている。

また、このことを逆から眺めれば、対話することで相手の悩みを他人が共有するという美しい話にもなる。

ご存知のように、これはカウンセリングでも行われるている手法である。
この手法が、カウンセラーと対話することで、あるいはカウンセラーを交えながら同じ悩みを抱くもの同士の集団での会話で、ストレス軽減と問題の抑制を期待する療法である。

ただ裏腹なのは、会話が苦手な者や、望まない相手との会話を強いられた者にとっては、会話こそがストレスの主たる原因にもなることだ。
うつ病の場合でも、うつ病者への過度の働き掛けが逆に症状を悪化させるケースは多々見られる。

以上、会話についての「うだ話」だが、当人が会話を望んでいるかどうかにポイントがあるのはいうまでもない。

にしてもだ、会話が人にとって大きな要素であるのは間違いはなく、ここまで述べてきたところには、入れていないが、会話そのものに、なんらの意味もないコトバのやり取りに、生きている実感をつかませることがあるのは、あなたのよく知っているところである。
ある人の笑顔が、自分の心を溶かしていくことを感じた記憶をお持ちだろうと思うが、それこそが会話の真の効果だろうとわたしは思っている。

それが「関係性の確認」という作業と深いつながりがあるのは想像するに容易い。

このように、会話には、大きな力があり(実は信頼する相手そのものに力があるのだろうが)、もし、あなたもそう思ってくれるなら、気の合う話し相手は、こんな世の中だもの、死守しなければならない。

あなたの友を大切にしてほしい。

以上が、わたしのあなたへの切なるお願いです。

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