2008年11月23日日曜日

メタファーではあるのだが

日本では、鍵やコンセントについて男女の関係を使った下卑た比喩がある。
それはそれでいい。

タイやインドネシア…すべて調べてはいないが東南アジアでは違う。
たとえばタイではこうなる。

南京錠でいえば鍵を差し込まれる側を「メー・クンチェー(カギの母)」と呼び、鍵のほうを「ルーク・クンチェー(カギの子)」と呼ぶ。
では、父はどこへ行ったのかといえば、そこら辺でフラフラ遊んでいるわけで、きわめて影が薄いのだ。
そういう国が東南アジアにはいくつもある。

というか、それがアジアのあり方だったのかもしれない。

男とは本当にだめなもので、祭りや戦争となると深く考えずに急にがんばったりする。
単純な動物だなア、と思う。

生活ということがどういうことか、それを支えるということがどういうことか、よくわかっていない。

日本も同じ状況なのだが、どういう加減だか、男も働くようになった。

男なんぞはそういうものではないのだ。
あっちへフラフラこっちへフラフラ――まことにもってどうしようもない生き物なのだ。

なぜそのように断言できるかといえば、かく言うわたしがまぎれもない男だからである。

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