美食への批判
わたしがときに美食に対して批判的になるのは、そこに金のにおいをかいでしまうからだ。
直接的だけではない、その周りに少しでも金のにおいがするといやになってしまう。
もともと食は金をかけようがかけまいが一つの世界を創出するものであった。
そうでなければあれほど料理人が心を込めるはずがないではないか。
その食を支える素材作りにあれほど熱心に農家の人たちや漁師たちがひたむきになりはしないではないか。
その食にわずかでも彼らが作り出そうとする世界を感じ取れるならそれはとてもすばらしい時間であり空間だろう。
そういう食をわたしは一度もけなそうとは思ったことはない。
ただ金に換算してわかりもしない食に舌鼓を打つやから、そういう食に、つまりは金儲けに走る職人に嫌気がさすと書いているだけだ。
ふとある本を読んでいて書いておかなければならぬと思い立ちここに改めて食について記すことにした。
食の向こうに世界が垣間見えるような食事は、それはそれは美しく豊かなものだと思う。
ただ、それには時としてともに食べる人が必要となってくることがある。
ふ~む、なるほど、ここでも「人間関係」の尊さは顔を出すことになるのか。
ラベル: 食べ物
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