2010年4月22日木曜日

今宵は彼の歌を聴きに…

生活が安定したその分、心がささくれ立ってぼろぼろになった。

生活が安定すれば、心は壊れ始め、金ががなくなれば、なくなったで自暴自棄になる。
どの道、わたしのいく道、いいようには事がまわらない。

どう転がっても、自己否定の目だけはしっかり背後から着いてまわる。
今回は、その背後の目がわたしの身体を透徹して、前にいる他人をも刺し貫いた。
他人は、初めてのことにわめき騒ぐ。
痛いだの、きついだの、オレの身体に何をしただの。

知るわけがない。
わたしの背後からの自己否定の目線が、失礼にもわたしの前に回ったおまえらの安っぽい身体を親切に焼き尽くしただけのことだ。
自己否定の欠片も持ち合わせたことのないおまえらにはさぞや痛かっただろう。

痛ければ、痛いと叫べばいい。
そうやって、わたしたち一族は生き連なってきたのだ。

この自己否定を旗頭にわたしたちは自分の心の純潔を守り通した。
その分、痛みが増え、その痛みの元である純潔の心は憎らしげにわたしたちの内部でほくそえむ。

お分かりかな。
ど素人が、わたしたちに近づくのではない。

原因がどこにあろうと構わない。
わたしの心はいまぼろぼろで、美しい魂のささやきを欲している。

高円寺の「稲生座」。
今宵、21時。
わたしは、美しい魂をもつこの男に会いに行く。
美しい魂をもちつづけてきたこの男の痛ましき香をこの嗅覚に収めにいく。

男はわたしを見て、嫣然と悪魔の笑顔を投げかけるだろうか。

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