橋本忍と松本清張
これは覚書のようなものだから、深くは、みなさんで考えたほしいなどという不遜な文章でまことに申し訳ないのだが、どうしても気になりここに記します。
これも昨日、図書館でうろうろしていたとき(会社の仕事の資料探しと文章書きに出かけたのです。意外と生真面目な男です。)、松本清張の「点と線」が目に入り、そう言えばと清張の作品について思いをはせていた時のことでした。
ぽっと浮かんだのです。
清張と橋本忍の関係が。
たとえば、野村芳太郎の「砂の器」の脚本は橋本忍です。
このシナリオは随分大胆に原作を焼き直している。
創作といってもいいだろう。
そこで行われたのはアルチュセール言うところの再構成である。
橋本忍は再構成の天才である。
もう少し正確に書けば、黒澤作品でわかるように最初から作り上げていく作品もあるにはあるが、(あれも黒澤のアイデアを橋本が再構成したのではないかとわたしは睨んでいる)橋本忍の真骨頂は再構成にある。
で、こんなことを考えてみた。
清張なくして橋本忍の脚本は生まれないが、清張の小説をそのまま映画にしても橋本の書き下ろした橋本版清張映画に遠く届かない。
清張は橋本の脚本は書けないが、橋本はいかに遠く離れたものになろうとも清張の小説がなければ「砂の器」を書けなかった。
これは、どういうことだろうか?
そういうことを語れる人間としみじみ語ってみたい。
これも昨日、図書館でうろうろしていたとき(会社の仕事の資料探しと文章書きに出かけたのです。意外と生真面目な男です。)、松本清張の「点と線」が目に入り、そう言えばと清張の作品について思いをはせていた時のことでした。
ぽっと浮かんだのです。
清張と橋本忍の関係が。
たとえば、野村芳太郎の「砂の器」の脚本は橋本忍です。
このシナリオは随分大胆に原作を焼き直している。
創作といってもいいだろう。
そこで行われたのはアルチュセール言うところの再構成である。
橋本忍は再構成の天才である。
もう少し正確に書けば、黒澤作品でわかるように最初から作り上げていく作品もあるにはあるが、(あれも黒澤のアイデアを橋本が再構成したのではないかとわたしは睨んでいる)橋本忍の真骨頂は再構成にある。
で、こんなことを考えてみた。
清張なくして橋本忍の脚本は生まれないが、清張の小説をそのまま映画にしても橋本の書き下ろした橋本版清張映画に遠く届かない。
清張は橋本の脚本は書けないが、橋本はいかに遠く離れたものになろうとも清張の小説がなければ「砂の器」を書けなかった。
これは、どういうことだろうか?
そういうことを語れる人間としみじみ語ってみたい。
ラベル: 作品
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